令和6年11月24日(日) 浪商高校野球部100周年記念式典 開催報告
2024.11.25
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令和6年11月24日(日) スイスホテル南海大阪にて、浪商高校野球部100周年記念式典が盛大に開催されました。
報道関係より広く紹介されていますが、ホームページでもお知らせさせていただきます。
古豪浪商復活を!野球部100年式典 張本勲さん激励の「喝!」 高田繁さん、明徳・馬淵監督ら出席
「浪商」として甲子園で幾多の名勝負を繰り広げた大阪体育大学浪商高校硬式野球部の創部100周年記念式典が11月24日(日)、大阪市中央区のスイスホテル南海大阪で開催され、大学・高校・少年野球関係者、メディア関係者、元プロ選手を含む卒業生、大阪体育大学など浪商学園関係者ら約250人が出席した。
野球部は、1924(大正13)年、浪華商業学校野球部として創部され、春は19回、夏は13回甲子園に出場した。1937年春の甲子園で初優勝。46年夏、55年春、61年夏と春2回夏2回、優勝した。
特に1961年は「怪童」尾崎行雄投手(故人)を擁し、因縁のライバルだった柴田勲投手(元巨人)率いる法政二高を準決勝で降し、優勝。また、1979年夏は牛島和彦投手(元ロッテ)―香川伸行捕手(元ダイエー、故人)バッテリーを軸に準優勝した。
野球部は、春は2002年、夏は1979年を最後に甲子園から遠ざかっている。昨年、2014年夏の甲子園で三重高校を率いて準優勝したOBの中村好治氏を監督に迎え、古豪復活を目指している。
記念式典には、1961年夏に尾崎投手の1年下で優勝を経験し、巨人でV9に貢献、日本ハム・ヤクルトで監督を務めた高田繁さん、2002年春に23年ぶりの出場を果たし、巨人、米大リーグインディアンス(当時)を経て、現在はチェコのプロリーグでプレーする村田透投手らOBが多数出席した。
式典の会場には、春夏の甲子園の優勝旗のレプリカなどが飾られた。
硬式野球部OB会の原田富士雄副会長(元4カ国国際野球大会全日本監督、元NHK解説者)が開式の辞を述べ、物故者黙祷、浪商学園の歴史をたどった記念映像の紹介の後、浪商学園の野田賢治理事長が「野球部は、校舎が全焼して学園が苦境に陥って間もない1937年にセンバツで優勝。終戦の翌年でグラブも満足にない1946年にも夏で優勝し、大阪の人たちに勇気を与えました。浪商の100年の歴史で野球部が果たした役割はとても大きい」とあいさつ。浪商学園同窓会の堀博充会長が乾杯の発声を務めた。
浪商高校は、プロ野球に多数の選手を輩出している。
硬式野球部のOBを代表して、高田繁さんがあいさつを務めた。高田さんは1年後輩で1961年夏の優勝時にエースだった「怪童」尾崎投手(故人)について、「今まで多くの投手と対戦しましたが、ストレートに限っては、尾崎がナンバーワンでまさしく剛速球でした」と懐かしんだ。また、「今も夏の大阪大会が近づくと浪商の成績が気になります。後もう少しで甲子園に手が届くと思います。この壁を一回乗り越えたら、必ず甲子園常連校の浪商に戻れます。現役の選手には頑張ってほしい」と激励した。
また、NPB記録の3085安打を放って「安打製造機」と呼ばれ、引退後はテレビで「ハリさん」「カツ!」で親しまれた張本勲さんも浪商OB。張本さんは「母校である浪商高校野球部が創立100周年を迎えたと聞き、心よりお祝い申し上げます。『あっぱれ』。100年という歴史を積み重ねられたのは、多くの選手、先輩たちが築き上げた数々の功績と伝統があったからです。中村監督と選手は一つになり、これからも力強く挑戦を続けてください。皆さんの努力と成長が、浪商高校野球部のさらなる飛躍につながることを期待しています。激励の『喝!』を入れます」とメッセージを寄せた。
式典には、今年の秋季四国大会でも優勝した甲子園常連校の明徳義塾高校・馬淵史郎監督も出席した。浪商高校の中村監督とは兵庫県の社会人野球時代から親交が深く、11月15日には「100周年記念試合」として浪商高校と対戦した。馬淵監督は「中村監督とは40年来の付き合い。中村さんが日章学園(宮崎)の監督になり、当時は1回も甲子園に出ていませんでしたが、明徳に来てもらい試合をした直後に甲子園に出場されました。三重高校の監督になられ、明徳で練習試合をした年にも夏の甲子園で全国準優勝。何か縁があります。先日、浪商と記念試合をしたので、来年の夏、中村さんがチームを甲子園に連れてくるのでは。甲子園で浪商とゲームができることを楽しみにしています」とエールを送った。
続いて、中村監督が登壇した。「自分は卒業後、専修大に進み、先輩や同僚から『浪商から来たのか。すごいところから来たな』と言われ、初めてOBが築いた浪商の名声を感じました。必死に練習し、40歳まで社会人野球で現役を続けました。3つの社会人野球、大学の監督、3つの高校の監督を経験して今回、自分を育ててくれた浪商に戻ることができました。『絶対やってやろう』という覚悟を持っています。4年までに必ず甲子園に出ます。そのためにはオール浪商で昔の強くたくましい浪商野球を築かなければいけません。OBの皆さんといっしょに闘っていきます」と決意を語った。
最後に工藤哲士校長が閉式の辞を述べて、閉会した。